境内案内①
本堂

境内は夏はみどりの葉が茂り、春は桜の花が満開に咲く。
本堂内陣

石段

国道から境内まで108段の石段がある
人間にある煩悩の数108個に由来している。
また、大林宣彦監督の尾道三部作でロケ地として踏切が使われた。
人間にある煩悩の数108個に由来している。
また、大林宣彦監督の尾道三部作でロケ地として踏切が使われた。
境内案内②
本尊(阿弥陀如来)

無量寿如来・無碍光如来ともいう
法然上人(浄土宗宗祖)

幼名 勢至丸さま
法然坊源空上人
(1133年~1212年)
岡山県美作生まれ
父 漆間時国
(菩提院殿源譽時国西行大居士)
母 秦氏
(解脱院殿空譽秦氏妙海大法尼)
南無阿弥陀仏と一心に
称える専修念仏の開祖
法然坊源空上人
(1133年~1212年)
岡山県美作生まれ
父 漆間時国
(菩提院殿源譽時国西行大居士)
母 秦氏
(解脱院殿空譽秦氏妙海大法尼)
南無阿弥陀仏と一心に
称える専修念仏の開祖
善導大師(浄土宗高祖)

善導大師(ぜんどうだいし)613〜681年
善導大師は、中国・唐の時代に活躍され、阿弥陀仏の救いと念仏の教えを広められた高僧です。浄土宗では、宗祖法然上人に大きな影響を与えた祖師として、特に尊ばれています。
主な著書に、『観無量寿経』を解説した『観経疏(かんぎょうしょ)』があり、浄土教の教えを体系的に明らかにされました。
法然上人は、この『観経疏』に説かれる「一心専念弥陀名号」から始まる一節に出会い、阿弥陀仏の本願に基づく称名念仏こそが、すべての人に開かれた往生の道であると確信されました。
善導大師は、阿弥陀仏の名号を称える念仏を往生の「正定業(しょうじょうごう)」と定め、また、私たち凡夫の姿と阿弥陀仏の救いを深く信じる「二種深信(にしゅじんしん)」の教えを示されました。
その教えは法然上人へと受け継がれ、浄土宗の教えの大切な礎となっています。
善導大師は、中国・唐の時代に活躍され、阿弥陀仏の救いと念仏の教えを広められた高僧です。浄土宗では、宗祖法然上人に大きな影響を与えた祖師として、特に尊ばれています。
主な著書に、『観無量寿経』を解説した『観経疏(かんぎょうしょ)』があり、浄土教の教えを体系的に明らかにされました。
法然上人は、この『観経疏』に説かれる「一心専念弥陀名号」から始まる一節に出会い、阿弥陀仏の本願に基づく称名念仏こそが、すべての人に開かれた往生の道であると確信されました。
善導大師は、阿弥陀仏の名号を称える念仏を往生の「正定業(しょうじょうごう)」と定め、また、私たち凡夫の姿と阿弥陀仏の救いを深く信じる「二種深信(にしゅじんしん)」の教えを示されました。
その教えは法然上人へと受け継がれ、浄土宗の教えの大切な礎となっています。
境内案内③
十一面観世音菩薩

真言:オン・マカ。キャロニキャ・ソワカ
六地蔵

六地蔵とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上という六つの世界(六道)で苦しむ人々を救う、六体のお地蔵さまのことです。
仏教では、人は生前の行いによって、死後に六つの世界のいずれかに生まれ変わると説かれています。
お地蔵さまは、どのような世界に生まれた人であっても、苦しみから救おうとされる慈悲深い菩薩さまです。
そのため、六つの世界それぞれに一体ずつお地蔵さまを配した「六地蔵」が信仰されるようになりました。
また、お地蔵さまには、この世とあの世の境で亡くなった人を見守り、導いてくださるという信仰もあります。
こうしたことから、墓地の入口などに六地蔵が祀られるようになったのです。
つまり、六地蔵には、「どのような世界にあっても、苦しむ人を見捨てず、救いの手を差し伸べてくださる」**という願いと信仰が込められています。
また、足元の台座には当時、建立に携わった方の菩提を弔うべく法名や施主名が刻まれている。
仏教では、人は生前の行いによって、死後に六つの世界のいずれかに生まれ変わると説かれています。
お地蔵さまは、どのような世界に生まれた人であっても、苦しみから救おうとされる慈悲深い菩薩さまです。
そのため、六つの世界それぞれに一体ずつお地蔵さまを配した「六地蔵」が信仰されるようになりました。
また、お地蔵さまには、この世とあの世の境で亡くなった人を見守り、導いてくださるという信仰もあります。
こうしたことから、墓地の入口などに六地蔵が祀られるようになったのです。
つまり、六地蔵には、「どのような世界にあっても、苦しむ人を見捨てず、救いの手を差し伸べてくださる」**という願いと信仰が込められています。
また、足元の台座には当時、建立に携わった方の菩提を弔うべく法名や施主名が刻まれている。
桂翁文治の墓碑

尾道文治こと落語家・桂文治は、師弟関係などは不明だが、六代目・桂文治と親しくしていた。
落語の舞台からおりてから旅回り専門の芸人としている頃から尾道に居ついた。
舞台では「お岩」が十八番であった。
尾道では久保一丁目丹花小路に住み当寺の檀家で地元の豪商であった田坂卯三郎の支援を受け、時折宴の席などで芸を披露し易学や占いなどで生計を立て過ごした。
一九〇五年 ( 明治 38年 ) 七月に九十三歳で生涯を閉じ、田坂卯三郎によって当寺に葬られた。
この墓は戦前まで国道二号線上にあったが、戦後まもなく永代供養塔に移った。
しかし平成二十八年初代・桂文治没後二百年にあわせてこの場所に移してお祀りした。
戒名は「辨譽秀音信士」、横には「丹頂文治藝姓桂 享年九十三才」とある。
なお千光寺にも桂文治之碑がある。
落語の舞台からおりてから旅回り専門の芸人としている頃から尾道に居ついた。
舞台では「お岩」が十八番であった。
尾道では久保一丁目丹花小路に住み当寺の檀家で地元の豪商であった田坂卯三郎の支援を受け、時折宴の席などで芸を披露し易学や占いなどで生計を立て過ごした。
一九〇五年 ( 明治 38年 ) 七月に九十三歳で生涯を閉じ、田坂卯三郎によって当寺に葬られた。
この墓は戦前まで国道二号線上にあったが、戦後まもなく永代供養塔に移った。
しかし平成二十八年初代・桂文治没後二百年にあわせてこの場所に移してお祀りした。
戒名は「辨譽秀音信士」、横には「丹頂文治藝姓桂 享年九十三才」とある。
なお千光寺にも桂文治之碑がある。
境内案内③
本堂前の桜

今の上皇陛下ご夫妻が即位された際に植樹されたと伝わるソメイヨシノ
春には満開の花が咲き、その花が散る際も見事である。花びらが地面に落ち、まるで花びらのじゅうたんのようなる。
春には満開の花が咲き、その花が散る際も見事である。花びらが地面に落ち、まるで花びらのじゅうたんのようなる。
境内から見える花火

毎年7月の住吉花火大会の花火が境内よりきれいに見える。
目の前の尾道水道から上がる花火の高さがちょうどよく、目の前で大輪の花火が上がりきれいに見える。また、たくさんの人込みを避けてゆったり見えるとマニアの間では有名な話。
目の前の尾道水道から上がる花火の高さがちょうどよく、目の前で大輪の花火が上がりきれいに見える。また、たくさんの人込みを避けてゆったり見えるとマニアの間では有名な話。
境内の椿

先住の坊守が趣味で集めた椿が境内に植えられている。たくさんの椿の中には珍しい種類の椿が植えられていると伝わる。